#11 女性が紡ぐ今昔。上人坂ヒストリー
色里や十歩はなれて秋の風
俳人正岡子規が、
同居していた夏目漱石と
道後温泉に入浴した後、
宝厳寺の山門に腰かけて
上人坂を詠んだ句です。
今回紹介する上人坂。ひと昔前は
通称ネオン坂と呼ばれていたとか。
なにやら怪しい匂いがしますぞ?
それでは行ってみましょう。
俳句とともに、歴史発見!
さて、ヒストリーハンターが向かったのは
上人坂のふもとにある圓満寺。
道後の映えスポットとして
SNSで目にした人も多いのでは?
早速、お揃いの茶羽織を来た子たちを発見。
お話を聞くと、晴れて高校を卒業し、
4月からはそれぞれ別の学校に進学するそう。
卒業旅行に道後を選んでくれてありがとう。
みなさんにとって良い思い出となりますように。
さあ、上人坂の入り口です。
少し歩き疲れた人は、
おしゃれなベンチで一息つくのもよし。
しばらく登っていくと、
前回紹介した上人坂テラスがあって、
さらに登ると
その先に見えてきたのが
「伊月庵(いげつあん)」。
俳人の夏井いつきさんが
庵主を務める句会場です。
夏井さんに、伊月庵を開くにあたって
上人坂を選んだ理由を伺いました。
『ここは、もとは遊郭街だったの。
坂の左右に女郎屋が並び、
どんつき(坂を登りきった突き当り)にお寺がある。
参道に遊郭が並んだ
なんとも不思議な場所だったのよ。』
なるほど
だから”色里”に”ネオン坂”なのか・・・。
『遊郭が規制されてからも、
この地に住む人たちは、
また上人坂に賑わいを取り戻したい。
って気持ちを持って暮らしていたの。』
遊郭名残のネオン坂を復活させるか、
新たなイメージで生まれ変わるか・・・。
『そんな中、
私は私で、春の道後温泉まつりで
吟行会を開いたりしながら、
子規や漱石も愛した道後に句会場があれば
と常々思っていた。
だったら、ここに
誰もが気軽に使える「伊月庵」を建てよう。
そう思い立ったの。』
『上人坂が「文化の坂」になる
それって、すごく素敵じゃない。』
こうして平成30年6月、
伊月庵が誕生したそうです。
そして、その思いは次第に
広がりを見せ始めます。
伊月庵が建ってまもなく、
ここ上人坂に
芸術家の日比野克彦さんが
手掛けたプロジェクトから、
様々な人が集う交流拠点
「ひみつジャナイ基地」が誕生したのです。
さらには、
フィンランドから世界的デザイナーの
石本藤雄さんが50年の時を経て帰郷。
同じく上人坂にアトリエを開きます。
夏井さんは続ける。
『何かの縁なのかしら。
圓満寺のご住職も女性、
宝厳寺のご住職も女性、
伊月庵の私も含めて
上人坂が女性の線で繋がってるの。
昔、遊女が生きたこの坂を、
今、私達が盛り上げる。
それで松山のお役に立てるなら
こんなに嬉しいことはありません。』
伊月庵を後にし、
最後にたどり着いたのは宝厳寺。
宝厳寺は、665年に創建された寺院で
時宗の開祖・一遍上人の生誕地です。
境内には冒頭の正岡子規の句碑もあり、
桜や大銀杏をはじめ、
四季折々の風情ある景色が楽しめます。
上人坂へ戻ると、またもや旅行中の学生さんに遭遇。
聞くと、福島県から来られたそう。
日本全国からこの上人坂に人が集まり、
賑わいが戻り始めています。
時代は変わり、雰囲気は変わっても、
上人坂は素敵な女性たちと共に、
その歴史を紡いでいくのです。
おまけ
夕暮れ時に、子規が腰かけた山門から
上人坂を撮影すると
なんともいい雰囲気の写真が撮れます。
ぜひ試してみて!